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スモモの樹皮又は根皮が奔豚(ほんとん)に?と『カズコ』の想い出。

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スモモの樹皮又は根皮が奔豚(ほんとん)に?と『カズコ』の想い出。

スモモの樹皮又は根皮を李皮(りひ)と言います。

私は大好きです。実母の故郷が山梨県北巨摩。スモモの白い花、美しいです。
山梨のスモモ産出量はダントツで日本一。

実母は決して美人ではありませんが、気位が高い女性でした。山梨県の片田舎の出身でした。
『母や兄らと比較すると「でき」が悪い・・』とよく耳にしましたが、旧制の官立東京高女(御茶ノ水女子大付属)を卒業後、通訳をしていました。
その後の幾多の変遷と心の変革があり、幼少の私を施設に預けて、そのまま単身で渡米しています。
もっとも再婚相手は既に決まっていて、米国海軍の上級幹部でした。
私が物心ついた時に一度日本でお逢いしています。
とても人柄が良く優しい男性で、二人で私を引き取りに日本に来たのですが、私が拒否し、無視したため彼とは一期一会となりました。
その後年、彼が交通事故で他界したとの知らせを聞き、意地を張り通し、彼に背を向けてしまった時のことを想い出したものです。まだ、私も血気盛んな少年でしたので、致し方の無いことですが、彼には申し訳なかったと大いに反省したものです。

『カズコ』の第二の人生

その後、母は5年をかけて猛勉強し当時は難しかった米国籍を取得後、さらに難関と言われていた当時の軍部職員の試験にパスし国防の道を歩んでおります。当時はいろいろな分野でコンピューターが導入される時代となり、母はその技術を基本から日夜勉強し、3年ほどで専門部門に配属されたと伺っています。
一時はNASA(アポロ計画)に出向していましたが、後年NSA本部に戻り、その後は三沢基地や福生基地などに仕事で回った時には、必ず青梅の私の住まい(拙宅と申しても当時のボロアパート住まい)へ泊っております。

彼女『カズコ』は故郷を思い出してか、「プラム」が大好きで、よく山梨のスモモを食していました。
これは私のふるさとの味、原動力です。と、口癖でしたね。
『貴陽』という銘柄が大好物で、いつか食べ過ぎて、私の部屋で寝込んでおりました。(苦笑)

その母を見ていて私も幼少の頃を思い出しました、スモモの木の成分は、薬になると「武川村の長老さん」がいつか言っておりました。庶民の知恵というか、伝承薬なんですね。

母方の筋である代々続く中山家の家並みが目に浮かびます。
スモモの木が群れをなし、季節になると一斉に白い花を咲かせます。(中山という山の麓)
その樹皮を削って1片を湯呑に入れて熱湯をさして飲む。胃の痛いのも静まり。夜はぐっすり眠れると祖母から聞かされました。現在では、スモモは北巨摩よりも気候がより安定している南アルプス寄りの市町村の方が盛んのようです。

この樹皮や根皮が、漢方用語で言われる「奔豚(ほんとん)」に効くとのこと。

この話を耳にした時に、自身の仕事の関係でいつもストレスを溜め込みカリカリしている実母の『カズコ』。

「好物のプラムの実よりも、あんたには幹(みき)の皮でもかじって食べた方がお似合いだ。。」と私が話したところ・・・やにわに彼女は立ち上がり、私を大きな眼を剥いて睨みつけ、そのまま身支度して基地のある三沢へ戻って行ったこともありましたね。。(苦笑)今となっては懐かしい想い出話です。

仕事の話は互いにタブーで、一切口にしませんでした。当時週刊誌ネタとなっていた例の『エシュロン』に彼女も関わっているのかどうか?いまさら息子が聞くのも野暮な話で、私の米国嫌いもこの辺から始まったのではないかと想い出すものです。

※奔豚(ほんとん)・・・今でいうパニック障害の症状に近い疾病。

●生薬 李皮(リヒ)、李根皮(リコンピ)について

最近なにかと話題に上る生薬の李皮(リヒ)、李根皮(リコンピ)。
李皮(Plum Bark)は、李根皮 李根白皮 リコンピ リコンハクヒとも言われます。

本品はスモモ Prunus salicina Lindley (Rosaceae)の樹皮又は根皮であり、作用として鎮痛、消炎、鎮静等が挙げられます。

(出典 日本薬局方外生薬規格 2015)

【追記:その後の母『カズコ』の第三の人生 聖フランシス・ホスピタルの日々】

その後、61歳で自身が病気(癌)であることを理由に国防総省の職務をリタイアし、オクラホマ州・タルサシティーへ移転。
タルサの病院で手術後には第三の人生として、医療(オペ)で生還しご縁のあった地元の病院のフードサービス部門に従事しました。なんと、当初は清掃要員(当人はお掃除おばさんと言っていた。)を希望し、再就職したとのことです。よほどこの病院への執着(聖フランシス・ホスピタル)があったのでしょう。
現役を退き、恩給や年金暮らしは、『カズコ』の人生にとっては意味のない退屈な生活と感じたのでしょうか。
その辺の事情は息子である私にも理解に苦しむところですが、決して経済的な事情では無いようです。どちらかというと、ワーキングそのものに喜びを感じるタイプですね。
この時に遅ればせながら栄養学、治療食などの勉強をしていたと思います。よく献立などの栄養計算について、私にも国際電話やメールなどで日々質問をしてきました。
また、米国における陪審員制度に興味を持ち、市のボランティア活動家として20年以上も携わっています。
さらに、自身の手先の器用さから、手芸もはじめ、当時のブームでもあったパッチワークに目を付けてタルサ市独自の町おこし『ガレージ・セール』を提唱したのも『カズコ』でした。
このため、定期的なフリーマーケットへの参加者や顧客が増え、日本の伝統美の図鑑とか「京都の織物の資料」が欲しいから送って欲しいとのことで、私も依頼を受けたことも何回かありました。
私が直接京都に出向き、友禅染の生地や、私の愛用していた加賀友禅のTシャツなどを送ったところ、いたく感動し自身の作品に生かしたようです。
その後、『作ると私の作品だけがすぐに売れてしまう困った!』・・・という嬉しい悲鳴の電話が最後でした。
さすがの大正生まれ、甲州の烈女も刀折れ矢尽きたのでしょうか、仲間や親友らの見守る中、病院のベッド。85歳で永眠しました。

母『カズコ』が晩年まで仕事場とした聖フランシス・ホスピタルの概要

Kazuko Nakayama-Nealの訃報を伝えた地元の広報紙

【翻訳】
一子『カズコ』中山 – ニール(85歳)は、2009年11月30日にタルサ(オクラホマ州タルサシティー)で亡くなりました。
彼女は1924年3月12日、英雄『ヒデオ』と中山よしゑ『ヨシエ』との間に日本で生まれました。
その後、『カズコ』は米国に移住しました。 彼女は引退する前に22年間、聖フランシス病院の食品部門(フードサービス)に従事していました。
彼女はJames A. Whiteley(ホワイトリー:事故死)と結婚。その後はClaud J. Neal(ニール)と再婚しました。
『カズコ』は熱狂的なキルター(手芸、パッチワーク、キルティング等のフリーマーケッター)であり、彼女の作品は日本の伝統を生かし、非常に誇りに思っていました。
なお現時点では当サービス再開は予定されていません。

 

プロフィール
この記事を書いた人
薬剤師 遠藤

プロドラッグ取締役/薬のプロたん・薬剤師/腑侶鍛漢方医学研究所・所長/元病院薬剤師/東京都青梅市現住/趣味:サイト構築・バイク・男の料理等/健康管理:西洋医学+漢方医学にて養生/

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